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Visual Café シリーズ 第3回「負ける映像」1/2pict

2013.02.15

津田
 第5回恵比寿映像祭関連イベントとして、東京都写真美術館からお借りしたクリスチャンヤンコフスキー「ドバイの瞳」とCreative Flowの学生が撮った映像を上映します。
 映像で日記を撮る流れがひとつありますが、「負ける映像」と題して日記映像の可能性を探ってみたいと思います。

●負ける映像

 勝ち負けの話では無いのですが、今回は「負ける」という意味が重要になると思います。世界を見る・対象を見るときに「負ける」といった事態が起きているのではないか?という仮定の下で上映を行います。
 テレビドラマや映画は、理解しやすいように安定していて、突然画面が崩れたり、物語が無くなったりすることはまず無いのですが、美術館で上映する映像はそういった事が多々あります。何故そういったことが起こるかは、実に面白い創造の秘密の一つでは無いでしょうか。

【2本映像を上映】

山崎
 2本映像を見ていただきましたが、ここから映像に関するトークイベントをしたいと思います。今回の映像は短いシーンを組み合わせて作っていますので、まず初めに特に印象に残っているシーンについて、グループで話をしてみてください。

【ディスカッション1】

山崎
 各グループで出た意見をグループファシリテーターに紹介してもらいましょう。

ファシリテータA
【映像1:ドバイの瞳】
・全体的に観光的な映像に見えた
・気楽な映像と、終盤のお金がかかっているように見える部分のギャップが面白い
・ドバイにこだわりはなく、行ったことがない場所という点が重要であった
・漆黒の闇を経験しているか否かで見方が変わっているのではないか

【映像2:東工大】
・対象物を探しているような作為的な意図が見えてきてしまった
・日記映像とはいえ現代的に見てくれる観客を前提とした映像

ファシリテータB
【共通する点】
・どちらも白黒でること
・視覚以外の感覚が強調されている

【映像1:ドバイの瞳】
・目隠しすることによって、目隠ししていない現地ガイドとの2者の関係が全然違うのではないか
・国外からやってきた人が目隠しをしていて、人質という言葉に象徴されるような関係が続いていたと思う

【映像2:東工大】
・視点の違いが面白い
・古い映画を見ているようだ

●他者に依存した映像

ファシリテータC
【共通する点】
・「他者依存」というキーワード

【映像1:ドバイの瞳】
・目隠しをしたカメラマンと、目隠しをしていないカメラマンがどの部分を撮っていたのか?
・目隠しをしているとはいうものの、目隠しをしてないクルーがいたように、何かに依存している

【映像2:東工大】
・カメラがずっと置きっぱなしで、撮る人が自分では何もせずに、要は周りに依存して撮っているだけ
・「負ける映像」とは、視点が合わなくてフレームから飛び出してしまったり、撮りたいものが上手く撮れていなかったりすることではないか

津田
 ドバイの方ですがクルーは完全にヤンコフスキー、カメラマン、録音スタッフ全員が目隠しして入っています。但しBBCの撮影も入っていますので、その人たちは目隠しをしていない状態でした。
 また編集作業していた女性は目隠しをしていませんでしたが、その編集の指示は目を隠したまま指示を出していたので、かなり不安定な状態であったとは思います。

●被写体と撮影者の関係

山崎
 ドバイの瞳の被写体と自分との関係を述べていたシーンで、クリスチャンが「関係性」という言葉を使っていたのが印象的だったのですが、「被写体と撮影者の関係」に注目すると、2つの映像についてどんな意見がありますか?

【ディスカッション2】

ファシリテータB
 被写体と撮影者との関係ですが、ドバイの瞳の方は、被写体も撮っている人も目隠しをしていて、その姿を周りから見ている人がたくさんいる。それが従来に無い、非常に複雑な芯になる関係であるという意見がありました。
 東工大の方は「モノに対して負ける」という解釈ができているのですが、全体通して「モノへの敬意」があるのではないのかと。
 理系は自分がモノを自在に操るようなイメージがありますが、今回の映像では一部がアップになったり、人為的なモノが加わっていなかったり、普段のイメージとは反対の関係があるのではないか、といった意見でした。

ファシリテータC
 そもそも映像にしても写真にしても、「被写体の選択」が必ず入ってくるといった点や、撮影の段階で被写体の魅力をどう引き出すかが重要ではないか、といった話がありました。
 今でこそドバイは開けていますが、かつては神秘的な印象をもたれていたと思います。逆にそれを題材にしているということは、観客は「ドバイの今を知ることができるのではないか?」という期待を持ったと思います。しかし映像からは政治的な現実はあまり見えず、砂漠や娯楽的なものが多くて、ある意味良い意表をついていたのではないかと。
 ただ45分という時間があれば、もっといろいろなものが取れるだろう、という厳しい意見がありました。(会場笑)
 東工大の映像は、被写体の製造課程では人の手がかかっているにもかかわらず、人間がぜんぜん映っていなかったので、もっと人間が映っていて欲しかったという意見がありました。

●自分との勝負

ファシリテータA
 勝ち負けとは何か?という話題が中心でした。
 普段、どんな時に勝つと思うか考えてみると、写真撮影なら何かの資料や必要なものを撮ることが多いので、活用できるものが撮れたら勝ったと思うのではないかと。
 それは被写体との関係を見て勝った、負けたと言ってるのではなく、自分がいい写真を撮れたかどうか、「自分との勝負」という意味があるのかなと。上手くなくても面白い写真は存在して、それだったら結果的に勝っているのではないでしょうか。
 勝ち負けを考えると、先程のコントロール的な意味もあると思いますが、自然や動物など予期できないものを撮る時は最初から負けていて、それを勝つところまで持っていくのが、写真なり映像なりを撮っていることになるのかな...。

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