Creative Café 写真というブラックボックス --よい写真とは-- 2/3pict
2012.02.10
●近くの写真と遠くに見えるもの
松川:東工大2年の松川です。僕からは、確率した手法の中でも、数理的でないものについてご紹介をさせていただきたいと思います。寺中くんの説明の中で、客観的によいとされる手法を用いたとしても、必ずしもよい都市景観が生まれてこないということが、浮き彫りになったと思います。写真においても同様の事が起こるのか試しに撮影した写真があります。
山崎:これは安定とされる日の丸構図に、三角構図を加え、シンメトリーの要素も持ちあわせている写真ですが、色調も揃えているにもかかわらず、周りから「微妙だ」といわれました。
松川:取り立てていい写真とは言いがたいですね。つまり僕達が探して出した様々な手法を用いたとしても、必ずしもいい写真は取れる訳ではありません。次に、こちらの写真をご覧下さい。
この写真をご覧になって、2001年9月11日のことを思い出さない人はいないと思います。報道写真と芸術写真を同様に扱うことはできませんが、この写真を用いて、写真を認識する中で、私たちがどんなことを行なっているか考えてみたいと思います。
いい写真を撮影する方法として、まず二つのことを考えていただきたいです。それは、自分に「近いもの」と「遠いもの」です。
写真自体は、私たちは自分の目で見る自分にとって近いものだと言えます。一方で、この写真を見て9.11を考えることは遠いものだと言えるでしょう。被写体や構図など、個々の要素は自分にとっては近く、それらが意味するものや連想するものは遠いということです。
同様に、誰かの顔を認識するとき、何千何万の中から、ある人の顔を認識することができると思います。しかし、鼻や口など個々のパーツを正確に言って言われても、正確に言うことは困難でしょう。これは個々の要素を見て写真全体を認識し、意味を捉えるのと同じ性質を持っています。
更に分かりやすく言うと、ある集合写真を見た時に、様々な自分の顔が並んでいたり、写真の要素を認識する訳ですが、その写真に思い入れがある人にとっては「懐かしい思い出があるな」と「このときあんなことがあったな」と、物質として写真をみるのとは別に、自分とは遠い部分で他のものを連想し心が移動しているので、写真のよさはこれらの部分についてまだ議論の余地があると思います。
科学哲学者のマイケル・ポランニーは「暗黙知の次元」という書物の中で、例えば歩くという動作をするときに、我々は筋肉それぞれの動きを認識せずに、暗黙的に動作を行なっているように、諸要素を全体として構成しているという行為は認識できないのではないか、と疑問を投げかけました。
先程説明をした数理的でない要素として、差異があげられます。珍しくユニークだという理由で、人は驚きそれをよいものする傾向があります。変わった被写体であったり、構成が秩序だっていなかったり、時代感覚が異なっていて古臭い・または新しいといった、普段と違うことで評価されることもあります。
人は安定した秩序を求めるけれど、それと同時に無秩序なものをもとめたりもします。無秩序を解明しようとすると、そこに秩序が見つかり、また無秩序なものを探そうとして、振り出しに戻るということを繰り返します。
山崎:少し難しい話が続きましたが、構図・比率や色彩調和といった側面、心理や感性といった数理的でない側面の両方からよい写真についての話がありました。これらの視点をもって畑さんの作品を見てみると、ある作品の中には明るさの対比で対角線が見えるものもあれば、波紋がシンメトリーに写っているもの、同系色の色彩調和など、先程紹介した要素を見出すことができます。
ただその様な要素は、写真の要素のほんの一部で、まだまだ言葉にできていない部分も数多くあります。更に、言葉では表現することすらできない"写真のよさ"が存在するのかもしれません。
ここからは、私たちが写真を見た時に「いいな」と感じる背景には一体何が隠れているのか、グループディスカッションを行いたいと思います。はっきりとした正解があるものではないと思いますが、グループの中でああでもない、こうでもないと話し合う内に何か新しい発見ができれば、と思います。テーマが抽象的で話しにくい時は、会場に展示してある畑さんの作品について、どんな良さがあって、どんな要素が隠れているのか話していただくでも構いません。
畑:僕が美容師を始めた頃は、女の人の髪型が全然わからなくて、雑誌を買ってきては、いい髪型があったら切り抜いて、それをノートに貼るんです。それでその髪型がなんでいいかを言葉でばーっと書くというトレーニングを何年かやっているうちに、だんだんと「この髪型はこういう印象になってくるな」「かわいい」「かっこいい」「おばちゃんみたい(笑)」とだんだんわかってきたんです。トレーニングをすることによって、言葉が必要にならなくなるくらいまでわかってくるってことを、今、話を聞いてその時の事を思い出していました。
(ディスカッション)