Creative Café Vol.02 日本の中の<世界>を見つめる 2/2pict
2010.02.02
日本の中の世界
オンラインギャラリー『The World in Japan 』を見る
----「世界の中の日本」っていうのはよく聞きますけど、「日本の中の世界」(The World in Japan)っていうのは?
岡田:自分自身の内側の世界を掘り下げていく作業のほうが20代のうちは大事かなと思って『I am』を制作し、その後、外の世界をちゃんと見ないといけないなと思いながら最近は写真を撮っています。このシリーズはニコンのウェブから見ることができます。今は、アクトビラ対応のテレビでも見ることができるんです。
ぼくは北海道、稚内で生まれたので、原点回帰というか、自分の生まれた場所に行って、世界というか、自分の内側の世界の反対側にある世界を見ようと思いました。でも『I am』を見たあとに見ると、なんだかこっちのほうが寂しい感じがしますね。
G:ぼくも、『The World in Japan』のほうが寂しいなって思う。これは風景画っていいますか、そのとき会って、もうあとはすれ違っていく人を写っているでしょう。それと比べると、『I am』は「自分のことを撮ってくれ」って、こう身をさらけ出してきた人たちを撮ってる
S:私は、特殊なヘンなものを見るより、まず普通のものを見て、見方を変えたら「ああ、これは面白いじゃないか」とか、そういうことをまず考えていくほうがいいと思う。失うものばかりを撮るのは、私にはまだ早いかなと思う。
岡田:きれいなものとか、かっこいいものっていうのは、撮ろうと思ったらいくらでも簡単に撮れるんですね。でも反応が「きれいだね」「おもしろいね」「上手だね」で終わってしまって、そこから先に何も生まれない悲しさがある。つまり、見る人の人生に何の影響も与えることができない写真は、ようするにそれはその人にとって「どうでもいい写真」であって、存在していないに等しい。むしろ「気持ち悪い」って言われた方が、その作品を、次の日とかにまた思い出してもらえることがあって、その人の価値観をちょっとでも変えられる可能性がある。否定されることもまた、ぼくにとっては、ありがたい見方をしてもらっているんです。
でも普通は、出会ったときに"怖い"って感じてしまうと本能的に逃げてしまうでしょうね。被写体と向き合っているつもりが、結局は自分自身と向き合わなければいけない。自分を知るということは、怖いことでもあると思うんです。でもぼくは、"怖い"と思う自分の気持ちを乗り越えてでも写真を撮り続けることで、その次に自分がどういった自分と出会うのか、それを見てみたいという気持ちもあるんです。
美しいもの、生まれでるもの
----『I am』ですけれども、2008年、第33回木村伊兵衛賞を受賞した作品なんですが、「ターニングポイントに入った」っていうふうに選者全員が寸評されましたね。日本や世界の置かれいてる状況の中に、岡田さんが示してるような地殻変動が大きく起こってるんだと。
R:今まで、女の子の体は結構、美しいもののはずだったんだけど、これを見ると全然、うん......美しいと思わない(笑)。現実的すぎて。生で見ることは、いいこと悪いこと?今まで、アーティストは、女の子をもっと美しく撮ると思っていたので不思議です。
岡田:『I am 』が、美しい形なのかもしれないと思っています。
----もし、『I am』に美しさを、感じるという方いたら、手を上げていただけます? あっ、いますね。
W:『I am』の作品を見たとき、肌の色とかもそんな健康的な色っていうよりは、すごく自然なような感じがしました。その自然さのほうがきれいな感じしました。
D:『I am』に出てる女の人を見ると、最初は、目が暗く絶望してるのかなと思いました。『The World in Japan』は日本なのに、日本の風景が失われてるような気がして、そのときにハッと思ったのが、『I am』の人たちは逆に自分を強く求めてると思いました。
----これに関しては、コメントはやめましょう。
岡田:ぼくが写真を始めたのが19、20歳のころですけど、一番最初に撮りたいなと思ったのが、実は出産のシーンでした。当時は、出産シーンを撮るのはタブーではあるんですけど。
やっぱり人がどうして生きているのかとか、自分が生きる理由とかを知りたくて、一度、人が生まれてくる瞬間っていうのを自分の目で見てみたいなと思いました。気持ち悪いとか見たくないって言う人は、当然いるのもわかるんですけど、ぼくも皆さんもこうやって母親の体の中から生まれてきたということは変えようのない事実で、それを改めて考えるだけでも意味があるかなと。そう皆さんが感じてくれることを信じて見ていただきました。今日はありがとうございました。