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Creative Café Vol.03 「都市」と「映像の都市」はどう違うか 1/2pict

2010.02.26

瀧健太郎
1973年生。武蔵野美術大学大学院映像コース修了。文化庁派遣芸術家研修員('02), ポーラ美術振興財団の研修員('03)として、ドイツ・カールスルーエ造形専科大でメディアアートを学ぶ。フィリップモリスアートアワード('02)、Ongoing展('02)、 fromScratch('05)、「目黒の新進作家 -七人の作家、7つの表現」('07)、「Nippon Connection」('09、独)「アジア・アートビエンナーレ」('09, 台湾) 他国内外で展覧会多数。NPO法人ビデオアートセンター東京代表、早稲田大学川口芸術学校の客員講師。共著に『いま、ここからの映像術』

facilitator(文中----) 津田広志

映像と都市の関係を探る

:今日は「都市と映像の都市はどう違うか」というタイトルで作品を集めてみました。

ゴッドフリー・レジオ『コヤニスカッティ』1984年 予告編

----システム化された都市の映像、最後にロケット・チャレンジャーの爆発で終わる。産業文明の最後の果てを思わす黙示録的な映像とも見えますね。
:たぶん、当時は画期的な映像だったと思います。
----今のあなただったら、どういうふうに撮りますか?
:もっと編集して、いろんなところでカットします。チャレンジャーが上がるところは崇高的な感じだけど、爆発したあとは、僕だったらたぶん、すぐフェードアウトして終わりにします。人間の集中力が限られています。「もうつまんない」と思わせる前に、新しいものを出す。いい感動で終わらせるのほうが効果的だと思います。
:おそらく80年代でもこれはくどかったと思います。でもなぜ執拗なまでにこのシーンを見せたかというのは意味があると思います。たとえば今、『24---TWENTY FOUR』みたいなテレビドラマでは一つのカットが約2秒以内で、一見するとドキュメンタリー報道のようなタッチで、パパッと変わるから、リズムがあり飽きさせません。それとは対照的なのが今見ていただいた映画です。
実はこの映画の監督ゴッドフリー・レジオは、元牧師で若者たちに彼の信じる宗教の考え方や理念を伝えるにはどうすればよいのかと考えて映画に至ったそうです。
----世界最初の映画を作ったメリエスという人がいますけども、最初のころに「海の上を歩くイエス」っていう宗教映画のはしりとも考えられる映画が撮られてます。映画と宗教は関係がありますね。
N:「翻訳」とか「記号」をどう考えるかっていう話を発展させた人がやはり牧師さんなんですよね。ユージン・ナイダという人。キリスト教をいかに異文化に伝えるかってことを考えた人。聖書をそのまま伝えても駄目だと。やはり異文化に適応する形で調整して、社会科学的な分析をしながらも、どこか非科学的な何かであった。私は非常に人間の面白さみたいなものを感じるんですけれど。
:今日は、そういう問いかけみたいな作品をいくつか持ってきました。

都市のラビリンス・プロジェクト
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パット・オニール+ラビリンスプロジェクト『Tracing the Decay of Fiction』 2002

:「背景の今の風景」と「登場人物のいる時間」がずれて違う。人間の行動を際立たせているような感じがしました。
F:人間が何かものを探している。その人間の行為以上のものが写っていて、いろいろ感じられた気がしました。
:この人たちは何を考えてるんだろう?
:わからないが、結構面白い、不思議な感じ。普通の映画じゃない。
T:単調な感じなんですけど、複雑という感じ。
----わけのわからなさを感じました? 
:これは劇映画ではありません。写っているホテルは「アンバサダーホテル」というロサンゼルスにある、今は老朽化したボロボロのホテルなんです。
1920年代にこのホテルでロケーションして撮られた映画があって、----それが白黒の部分なんですけど----、今のカラーのボロボロのホテルと映像を一緒にする「ラビリンス(迷宮)・プロジェクト」と呼ばれているものです。
だから、不思議に思った人とか、ほんとに迷宮に入っていってしまう人がいたと思うんですけど、そういうプロジェクトの一環の作品です。
ぼくはこれが面白いなと思うのは、皆さんおっしゃったように、モノクロの映画と、現実のカラーのミックスさせた境界のない映像のところです。
:この映画は人間ではなく、「建物が主役かな」って感じがして見てました。その空間から感じ取ることが、白黒で描かれてるかなって感じがしました。
:実際の人物が出てこない。空(から)の建物だけが映って、ちょっと亡霊っぽいのが映ってたので、さみしい印象がありました。
:私も似てるんですけど。人物ではなく、建物が主役で、建物の思い入れみたいなのを描いた作品という感じでした。
:いや、僕はテーマがあると思います。1920年代、昔は元気があったんだけど今はもう意味がない。その虚しさがあると思う。未完成な感じがありました。面白いテーマだけどまだ未完成という感じがします。
----最初に見た作品もそうですし、これもそうですけど、虚しさがありますよね。この「虚しさ」は大事じゃないでしょうか。何もない「虚しさ」ではなくて、いっぱい何かあるんだけど、何もない虚しい雰囲気が。
:「これは映画です」とも言えますし、「これはある場所のドキュメンタリーです」とも言えます。そういう中間領域の面白さがあります。そういう考えで映像を撮る人はあまりいなくて、大概皆「映画を撮ります」とか、「私はドキュメンタリーを撮ります」とか「私はアニメーションです」とか始めからジャンルを決めてかかっています。
でもこの映像は、背景に都市の持つ記憶とか、時空間の交錯からスタートして都市を見つめ直しているので、そういう奥行きがあると言えます。

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