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デンマーク式サイエンスカフェ「サイエンス×想像力=NOW」~科学技術コミュニケーションの今と未来を語ろう~ 2/2pict

2011.10.06

<質疑応答>
クリスティアン:3名のゲストスピーカーの話は、興味深いトピックを含んでいました。オーディエンスの皆さん、私たちを正しい方向に導くという意味でも、ここから質問を受け付けたいと思います。

・科学者とメディアのコミュニケーションギャップを埋めるには

A:HS大の者です。まず一つ目は、調さんがおっしゃっていた「正しく恐れる」という話についてです。学術会議の方々を「正しくしつける」ための仕掛けを考えていかないといけないと思いますが、何か考えていることがあれば教えてください。
また、科学と社会のいろいろな問題について、その問題を研究している研究者がいる中で、サイエンスカフェとして議論はできるものなのでしょうか。

調:学術会議の方々を正しくしつけることはできません。彼らはそのように育ってきてしまったのですし、社会も甘やかしてきたのだと思います。中にはしっかりした方もいらっしゃいますが、社会全体が悪いという話なので、今から変えることは困難です。
 ただ、そういうことを何とかするための仕掛けを考えている方が、会場にいらっしゃいます。W大学のT先生に答えていただきましょう。

T:W大学のTと申します。科学とジャーナリズムについて研究しており、デンマークでもうすぐ始まるサイエンス・メディア・センターの日本における計画のリードを行っています。これは2001年からイギリスで始まった取り組みで、科学者とメディア間のコミュニケーションギャップをどうなくすかということに関して活動しています。私たちのサイトをご覧いただいても、パッと見何をしてきたか分かりにくいのですが、海外のBBCなどの問合せに対して、日本の専門家を紹介し割り振るといったことを行っていました。
 ご存知のように、一人の科学者がテレビに出演するとずっとその人ばかりが出るようになり、その人ばかりが批判にさらされます。何があっても「あいつは御用学者だ」「あいつは悪いやつだ」と、その人に集中してしまい、科学者コミュニティで分散して負担することができないという問題があります。
 私も事故が起きてから知ったのですが、原子力学会はチーム110という仕組みを作っていたらしいのです。つまり、10人の代表的な科学者がいざというときのメディア対応を行い、それを残りの100人が支えるという仕組みです。しかし、実際に事故が起きてしまうと大パニックになって、チーム110を知っていたジャーナリストはその10人に押しかけましたが、必ずしも学会全体でサポートしきれないという状況が生まれてしまいた。
 サイエンス・メディア・センターは、他の分野でも同じようなことが起きていた中で、人の流れをコントロールし、情報の流れを正確にし、科学的な議論を促す活動を行う組織です。2001年のサイエンス・メディア・センターのもともとの発想というのは、マスメディアが凋落していく状況の中で、どのようにサイエンスの問題を社会全体で考えるか、議論の質を確保するか、という発想から始まっています。
 しかし、この10年間でソーシャルネットワークサービスの発達により状況は変わってきました。今回、原子力系の方々はTwitterでなかなか発言ができなかったけれど、原子力の隣接分野の方々が、勉強していくプロセスを皆さんが見ていて、各データの意味を学習するプロセスを得ることができました。ただしそれでも、情報は末端の人たちまで行き渡った訳ではありません。情報を得たのは、 Twitterを使いこなし、Twitterを見る時間があった人達、言わば情報強者のみです。
 そうしたときに、それまで行われていた議論、つまり必ずしも台本発表的な東電の発表ではない議論を、どのように社会に転写するのかが、恐らく次の10年間の問題になっていくのだと考え、いろいろな議論と仕掛けについて考えているところです。

クリスティアン: SNSはとても大切なメディアに発達し、今までのメディアと新しいメディア、新しいコミュニケーションスタイルの土台になっています。

・科学者同士のミーティングは、ワインを飲みながら

ゲルト:2点良い質問がありました。ひとつ目は、科学者はどのようなことをサイエンスカフェで言うことができるか。デンマークと日本では違う部分もありますが、私達は自分達のカフェではまず2時間のミーティングをします。馬鹿みたいに聞こえるかもしれませんが、ワインを飲みながら話すとうまくいくのです。同じものに興味をもった者同士で、リラックスをしながら話をしていただきます。ただそれぞれ違う角度でものを見ているだけなので、リラックスして、まず人として参加して欲しいと伝えるのです。
 狭いフィールドにおける世界的な研究者は、ある分野が得意であるが、ある部分では疑念を持っている。そういったことが言えるようになると、会話が非常に興味深くなっていきます。
 そしてもうひとつ、サイエンスジャーナリストについての質問ですが、これは本当に大きな課題です。この分野にいる人たちは、これをうまくやりたいと思っていますが、必ずしも各ジャーナリストが科学についてのバックグラウンドを持ち合わせているわけではありません。しかし、新聞を売らなければいけないので、ストーリーを形成しなければいけませんし、特定の要素を誇張しなければいけないこともあります。時々は、本当のことよりも素晴らしい記事が書けるかもしれませんし、悪くなることもあります。

・もし「フクシマ」をテーマにサイエンスカフェを開くとしたら

A:例えば、福島の原発に関するサイエンスカフェに、福島関係の人を連れてこられるならば、誰を連れてきたいですか。

ゲルト:とても難しい質問ですが、私が福島についてのサイエンスカフェを行うとすれば、少し違う視点を持っていきたいと思います。例えば、プレスと福島の悲劇について語ったり、サイエンスジャーナリズムについて勉強されている方と、この問題がどのようにメディアから発信されたかについて語ることができればと思います。同時に、コミュニケーションの専門家を呼び、このような大惨事において、どのようなコミュニケーションを取ることが望ましいか語るということも考えられます。
 惨事そのものではなく、それを取り巻く社会的な問題、社会のコンテクストを踏まえたディスカッションを提案したいと思います。

クリスティアン:志賀さんは、科学知識に伴うリスクについてお話ししたいことはなにかありますか。

志賀:SFの目線ではないのですが、僕は大学時代に基礎電子物性という素粒子論を研究していました。ちょうどその時代、X線レーザーや自由電子レーザーを具体的に動かすことができるかという研究がビビッドでした。物性科学の世界では、実験結果が一つ出るだけで世界が一日でかわってしまうものなので、先生は、サイエンスというのは決してコンクリートで固められた建造物ではなくて、いつでも全く違うシステムや理論が出てくる可能性があるのだと言っていました。そして、実験を間違えたとき、従来にない結果が出た時に最大のチャンスがあるのだと教えられました。
 要するに科学の理論というのは「その理論が正しい中では正しいのだ」という非常にトートーロジックな世界であり、ある種の限界があるということです。工学部に行くとそれが実感としてわかるのですが、文系の人だと、割と科学は絶対だと思っています。権威のある科学者がこう言ったというと、あらゆる人が一方の議論を全く盲信してしまうという例を、最近またネットで見て驚きました。
 調さんの話で一番思ったのは、科学者同士の対話が実はほとんどされていないということです。専門家のフィールド中で黙々と自説を展開するだけで、コミュニケーションがなっていないことを残念に思いますが、どうすればいいのか、何かアイディアはありますか。

調:私は東工大で、志賀さんが指摘されたことを感じています。今や世界の先端科学として、それぞれの専門分野の境界からいい仕事が出てくることがかなりあります。それを生み出すために専門家同士が議論するチャンスがあれば良いのですが、これがないのです。イギリスのケンブリッジなどの大学だと、いろいろな分野の教員同士が一緒に晩御飯を食べていたりします。私が留学していたエジンバラだと、教員用のパブがあって、そこに行くといろいろな教員が集まって、飲みながら話をしたりするのです。
 では東工大にも教員用の食堂があったとして、仮にそこに人が集まったとしたら議論は起こるでしょうか。多分起きません。我々は自分の専門分野の事をどんどん学んでいけば良いと教育されてきましたから。
 これを20年、30年計画でなんとかしなければいけないと考えていますが、その一つの鍵は 野原先生が行われている、デザインというキーワードが中心の教育や、プロジェクト・ベースド・ラーニングだと思います。加えて、一般の人の視点をどうやって入れるかということを考えると、さらにいいことになっていくのだろうと思います。

・ソーシャルネットワークの可能性

B:今年はアイスランドの憲法改定にみられたように、たくさんのアイデアがあって、それをSNS等のプラットフォームに乗せて話をすることがあったと思うのですが、日本にはどのような可能性があるのでしょうか。具体的には、福島の問題を解決していくような可能性についてです。

調:福島の問題で難しいのは、ひとつにはなかなか実名でできないということです。非常にシリアスな問題で、しかも間違えた場合にどうなるか、その人の政治的な立ち位置はどういうところにあるかがものすごく気になるし、そのことを理由に、場合によっては非難を受ける危険性があります。
 もう一点言うと、ソーシャルネットワークはいいのですが、科学者同士が直接会って話をすると全然違います。これをどうするのか。直接話すと、けんかをしている者同士もかなり柔らかくお互いが理解できます。ネット会議ですとものすごくけんかが多い一方で、直接会うとだいぶ違ってくるのではないかと思います。

・対話と議論----サイエンスコミュニケーションの難しさ

C:哲学で言えば、プラトンは対話で学問をつくってきましたよね。なぜそういうものを失ってしまったのでしょうか。また、冒頭の話に出てきた寺田寅彦は物理学者でありながら文学者でもあり、さらに楽器も演奏したというマルチな才能を持っていた人ですが、そのような文系でも理系でもある観点を持った人がなぜいなくなってしまったのか。そのあたりについてちょっと議論していただけますか。

調:一つ言えることとして、対話と議論の違いがあります。日本人は議論ができないといわれますが、僕は議論ができない以上に対話ができないのではないかという気がしています。日常的な問題に関しての対話は非常に得意なのですけれども、利害の対立や非常に難しい問題になったときに、突然、対話ではなくて議論に変わってしまうところがあるのではないかと思います。
 わたしは小説家であり、博士である瀬名秀明さんを存じ上げていますが、彼はある種SF的なことをやっていらっしゃいます。ああいう方がなぜ出ないのか。あるいは、SFという世界には理系がバックグラウンドの作家が多いのではないかと短絡的に思うのですが。

志賀:理系出身のSF作家は結構少ないのです。クラークは完璧な理系出身のSF作家で、非常に市場性もあったし、未来を的確に予測していたのですけれども、理系出身のSF作家は日本でも海外でも割と少ない。いわゆる文系出身のSF作家のサイエンスフィクションでは、科学は基本的に批判の対象にはなりません。要するに、彼らは科学というボートに乗っている船乗りのようなもので、ボート自体を疑うことはないというのが、これまでのサイエンスフィクションの本流です。疑おうという動きは幾つか出ているのですけれども、そのような作品は非常に少ないです。

・サイエンスカフェは「きっかけ作り」である

D:わたしはサイエンスカフェの概念について懸念があります。例えば、サイエンスフィクションにおいてポップカルチャーのイメージを使うことによって、科学の概念が即効使えるものの適応というイメージにつながってしまい、論理的な面が置き去りにされてしまう傾向があるのではないかと思うのです。

ゲルト:とてもいい質問だと思います。わたしの考えとしては、明らかにサイエンスカフェという概念には制限があると思います。例えば1.5時間しかありませんし、サイエンスや議題についてあまり知識を持っていない人と、その1時間半の間に会話をしなくてはいけないのです。ですから、とても抽象的なレベルにいるわけです。
 サイエンスカフェは制限されている、有限であるというのは当然です。でもサイエンスカフェは来た人に面白い夜だったと思わせ、あらためて自分で勉強してみようという気持ちにさせます。ほかのメディアに当たって勉強してみようというきっかけ作りになります。

志賀:サイエンスフィクションはポップカルチャーというかポピュラーカルチャーなので、ある程度多くの読者を獲得しないといけないという前提がありますが、やはり科学が非常に重要なテーマになっています。そういう意味では、今日この場所のようなサイエンスカフェの中で、サイエンスフィクションが中心的なテーマになるかどうかはともかくとして、1つの要素のテーマとして投げ込んでみると、いろいろな意味で反響が出てくると思いました。

調:確かにサイエンスカフェにおいて、アプリケーションの方法はどうしても集中しやすいので、新たな工夫はできると思います。一例を挙げると、天文学は抽象的であまり役に立たないように見えますが、サイエンスカフェでやると非常に人気のある領域です。アマチュア天文学をやっている方はいっぱいいるし、星に対するロマンがありますから。
 試しにこのサイエンスカフェで、全然アプリケーションとは関係なく、しかも面白くなさそうなテーマを持ってきてやってみればいいのではないでしょうか。案外できるのではないかと思います。

クリスティアン:異文化交流をして日本でこのようなデンマーク式のカフェをやってみるということでしたが、とてもうまくいったと感じています。面白い質問と、それに伴う形でディスカッションができたと思いました。だからこの後も10分、15分いて、プレゼンターや隣のかたとぜひお話ししていってください。デンマーク式のカフェというのはこのように終わるのです。
 野原先生、学生の方々への感謝の意を表示するために、それからスピーカーの方々、とても面白いプレゼンテーションをありがとうございました。

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