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デンマーク式サイエンスカフェ「サイエンス×想像力=NOW」~科学技術コミュニケーションの今と未来を語ろう~ 1/2pict

2011.10.06

<モデレーター>
●クリスティアン・H・ニールセン
(Kristian H. Nielsen:デンマークAarhus大学科学技術社会論研究者)

<スピーカー>
●ゲルト・バリング
(Gert Balling:Denmark Ministry of Science, Technology and Innovation デンマーク科学技術創造性省 特別アドバイザー)
●調麻佐志
(東京工業大学准教授 科学技術社会論)
●志賀隆生
(SF批評家)

・デンマーク式を導入する

野原:このたび、クリスティアン・H・ニールセンさんとゲルト・バリングさんという二人の素晴らしいデンマークの研究者の協力を得て、初めてデンマークスタイルのカフェを実施することになりました。
デンマーク式ということで、特に日本式にドメスティケートすることはしません。私たちも皆さんと一緒に、初めてのデンマークスタイルのカフェというものを楽しんでいきたいと思います。
 3.11の震災から、日本人は科学について考えることを強いられています。サイエンスコミュニケーションでは、人々の科学に対する関心をどのように変えることができるか、常に挑戦しているにも関わらず、これは非常に皮肉なことです。
 歴史的にサイエンスコミュニケーションが必要とされたときに、サイエンスコミュニケーションは十分になされていたのでしょうか。サイエンスコミュニケーションは不安定な社会において、何ができるのでしょうか。
 不幸にも3.11の震災が起きた今、このような流れの中で、サイエンスカフェやサイエンスコミュニケーションを行うことは非常に意義があると思います。ここからは本日のモデレーターであるクリスティアン・H・ニールセンに流れを任せたいと思います。クリスティアンはデンマーク・オーフス大学科学技術社会論の研究者であり、サイエンスコミュニケーションの最前線において、2003年からデンマーク式のカフェを開催しています。

クリスティアンクリスティアン: 私はサイエンスコミュニケーションや科学者と社会の対話について関心があり、これらが研究の中心になっています。サイエンスカフェは、科学者と一般市民が対話を行える素晴らしい機会です。
 本日のカフェは、デンマーク式のカフェを日本のコンテクストに導入する実験的な一面も持っています。みなさんが一緒に、この実験に参加していただけると幸いです。
 サイエンスレクチャーはゲストスピーカーの話がメインで、参加者は最後の短い時間でちょっとした質問ができるのみです。
 私たちはこれとは逆に、スピーカーには本当にわずかな時間だけを与えて、フリーディスカッションの時間を多く設けたいと思っています。そのため、本日私はモデレーターとして、スピーカーの皆さんには時間を制限させていただき、皆さんからたくさんのコメントや意見をいただきたいと思います。そう言った意味で、これはとてもオープンなイベントです。
 本日はスピーカーとして調麻佐志さん、ゲルト・バリングさん、志賀隆生先生に話をお聞きします。

野原:このカフェにはスタッフとして仕事をしてくれている学生がおり、彼らは参加者として議論もさせていただきます。

アミール:東京工業大学 社会理工学研究科 人間行動システム専攻博士課程1年のアミール偉と申します。本日はサブモデレーターとして、このカフェを運営していきますので、よろしくお願いいたします。
 今回のカフェでは、ゲストスピーカーが話している間でも、飲み物やお菓子を自由に取りに行ったり、隣の方と少しお話していただいたりしても構いません。皆さんリラックスして参加してください。

・「放射線を正しく恐れる」とは?

調:わたしの専門は科学技術社会論といわれる領域ですが、震災以降、低線量被爆という問題を考えてみようということで、科学コミュニケーション的な活動を始めました。わたしが今日取り上げるのは、日本学術会議という団体の科学コミュニケーションがひどかったという話です。
 日本学術会議は日本の科学者を代表する機関で、政府に対して助言したり、科学の振興を図るという役割を担っています。その団体が、この震災という非常事態に際して緊急講演会をやりました。一般の人に放射線の健康に対する影響を教えてあげようという「上から目線」(笑)の講演会で、タイトルは「放射線を正しく恐れる」でした。
 放射線の健康に対する影響についてはまだ分からないことがたくさんある中で、どうして「正しく恐れる」などと言えるのか。あえて「正しく恐れる」というタイトルを付ける傲慢さが、わたしはすごく嫌でした。

・一方通行の情報伝達は、科学コミュニケーションではない

調:それだけでも嫌だったのですけれども、講演を聞くと、その内容に驚いてしまいました。最初に話した人は「できるだけ被爆する線量を少なくしてください」と言いました。2番目の人は「被爆の量が少なければ健康にいい影響を与えます」という、ホルミシス仮説といわれている話をしました。3番目の人の話は「被害と利益をバランスを見て考えましょう」ということでした。4番目の人は「喫煙よりもリスクは小さい」と言いました。
 何がまずかったかと言いますと、まずホルミシス仮説という言葉が出ましたが、その科学的な妥当性は十分に検証されていません。そういうレベルの話をするのはまずかったのです。また、4つ目の喫煙とのリスクの比較は、最悪のリスクコミュニケーションのやり方といわれています。「こういうリスクの伝え方はするな」といわれていることを見事にやってくれたわけです。
 これだけで非常に問題なのですが、もっと大変なのは、学術団体である日本学術会議が、非常に偏向した組み合わせで物事を語ってしまったことです。しかも彼らは、彼らが思う正しい情報を素人に伝えてあげれば、科学コミュニケーション、正確に言うとリスクコミュニケーションがうまくいくと思っている節があるのです。

・イギリスが狂牛病問題から学んだこと

調:イギリスで狂牛病問題というものがありました。あれは簡単に言うと、科学者がほんの少し態度を間違えてしまったのです。その結果として、科学者に対する信頼はかなり失われました。その状況を「信頼の危機」と呼んでいます。イギリス国民やわれわれ研究者が学んだことは、上から目線で話をして、それで事態が解決し、科学や科学者に対する不信感がなくなるわけではないということです。
 サイエンスカフェの始まりはイギリスとフランスです。「信頼の危機」といわれる状況の中で、双方向のコミュニケーションを実現しようという話として始まったわけです。そういうことを知っていながら、わたしは今日初めてサイエンスカフェに参加し、サイエンスコミュニケーションなるものをやっています。この後のディスカッションを楽しみにしております。

クリスティアン:ありがとうございました。サイエンスコミュニケーションのあり方、福島での事由について、科学的な目線から発表してくださってありがとうございます。次にサイエンスカフェについてゲルトさんからお話しいただきたいと思います。

・科学知識を市民に「移行」する、デンマーク式

ゲルト:わたしはサイエンスカフェを11年間デンマークでやっています。その前には研究者としての側面もありまして、科学者から一般市民に向けての「知識の移行」に関する、政府のリサーチャーとして働いていました。
 「知識の移行」とは通常、市民の学習能力を高めて向上させること、そしてそれを社会に還元することなのですけれども、それは社会に対する貢献だけというだけでなく、大学に向けての貢献でもあります。大学は重要なリサーチをしますが、リサーチに対するお金は市民が払っています。ですから、大学が「知識の移行」について真剣にとらえることがとても重要になります。

・科学技術を社会的文脈のなかで考える

ゲルト:わたしたちは日常生活の中で技術の実験をしますが、問題は、わたしたちが科学や技術を理解していないことです。技術においてわたしたちがどのような行動をするかということについて、わたしたちは分かっていないのです。
 ですから、技術が社会で使われていることが果たしていいことなのか、わたしやわたしの家族、わたしの住んでいるところ、国に対していいものなのか、社会的なコンテクストの中で考えなければいけません。例えばクローン再生や、携帯電話もそうです。携帯電話を使用することが社会的な行動、コミュニティ全体の行動をどのように変えるかということは、とても興味深いものがあります。
 市民がどのように科学を理解しているかということについて研究が行われていますけれども、例えばフィクションプログラムによって、テレビやハリウッドの映画からサイエンスについて学ぶことができます。科学ジャーナリストが技術について説明する場合も、映画などから持ってきている部分が多いのです。

・自由なイマジネーションが、科学と社会を結ぶ

ゲルト:デンマークで行われているサイエンスカフェでは、アーティストやサイエンスフィクションのバックグラウンドを持つ人たちなど、科学者以外の人を招待することが多いです。サイエンティストだけを招いても、参加者が聞いてくれないからです。科学というのは、現実的な面を理解することが必要です。
 例えばサイエンスフィクションの映画は科学について間違ったアイデアを伝えてしまうことが多いのですけれども、それでも例えばクローンがどのように使われるかというまとまったイメージを観客に与えることができます。
 サイエンスカフェでは、このような手段によってイマジネーションを喚起することができます。現実の生活において、特定の技術や科学の実施方法がどのように実施されているか、社会でそれがどのようにとらえられているかということについて、ディスカッションできます。
 例えば、ある技術にどのようなことができ、その裏にある科学はどのようなものか、そのビジョンは何かということについて、科学者は説明することができます。再生技術についてのカフェをデンマークで行うとすれば、その裏にある技術について話します。自分の子どもの人格を選ぶことができるのか、卵子をほかの人から取ることができるのかというテクニックについて話すことができます。その一方で、何が普通なのかについても話すことができますし、わたしたちが一人一人違う人間であることがどれほど重要なのかということについても話すことができます。
 わたしはサイエンスカフェをするのが大好きで、ボランティアでやっています。大学出身者ではない皆さまと交流する場が得られるので、とても楽しんでいます。そして、技術や科学に関する間違った理解を、このカフェを通して一つ一つ改善することができます。

・巨大科学技術の到来が生んだ『2001年宇宙の旅』

志賀:志賀と申します。SFの雑誌の編集をしたり、SFの評論を連載したりしています。
 いま、ホワイトボードに"1968"と書きました。サイエンスフィクションと一般社会との結び付きを振り返ると、幾つかターニングポイントになった時代が見えてきます。例えば、1968年はスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』が公開された年です。『2001年宇宙の旅』は映画史に残る大傑作ということで、SFにあまり関心のない人でも知っています。
 アーサー・C・クラークは幾つか有名な言葉を残しているのですけれども、今でも語り伝えられているものに「クラークの三法則」があります。そのうちの第三法則に「十分に発達した科学は、魔法と見分けがつかなくなる」というものがあります。これはまさに『2001年宇宙の旅』を象徴する話ではないでしょうか。
 アポロが月面着陸をするのが1969年ですから、1968年の『2001年宇宙の旅』は、まさにリアルタイムで巨大科学、巨大テクノロジーが進行している中で、現実と対峙する形で作られています。この映画はNASAの協力も得ていたといわれているのですけれども、今見てもかなりインパクトがあり、いろいろな意味で考えさせます。
 例えばHALとは何だったのか。今思うと、HALは実は全環境コントロールシステムで、宇宙船ディスカバリー号の乗組員はHALに依存することで安定的な生活を得ていました。そういうことが本当にいいのか。巨大システムやコンピュータネットワークに通信環境を委ねている現状は、本当に大丈夫なのかということを、非常に問題的にとらえている作品だと思います。

・ネットワーク社会を予見した『ニューロマンサー』

志賀:もう1つ、サイエンスフィクションの歴史で画期をなすのは1984年ではないかと思います。これはウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』という作品が登場した年です。この2年前、1982年が実はスタートで、ヴァーナー・ヴィンジの『マイクロチップの魔術師』という中編の作品があります。この作品は今のコンピュータ社会のオリジナル、紀元みたいなところを非常にうまく描いています。
 1982年は『ブレードランナー』と『トロン』が映画として登場して、一般的にではないにせよ、ネットワーク技術者やコンピュータサイエンティストたちに非常に大きな影響を与えました。その結実が『ニューロマンサー』です。
 『ニューロマンサー』は、発表するや非常に話題になりまして、日本も含めて、その年の世界のSFの賞を総なめにするぐらい、世界中に衝撃を与えた作品です。この作品の一番の読みどころは、やはり、まさに誕生直前、あるいは拡散直前のネットワーク社会の魅力と危険性を非常に的確に描いたところだと思います。
 僕らは『ニューロマンサー』を読んで、ネットワーク社会について希望と恐れを抱いて、1990年代、ワールド・ワイド・ウェブの誕生を迎えましたが、ビジュアルの世界で、ネットワークに対してはこういうものだよねという形で、ほとんど既視感を持って90年代を迎えられたのです。SF作家の想像力がその時代を非常に見える形で作品に結実したという点で、68年と84年は意味のある年だと思います。現実や科学、テクノロジーとの接点を描いてきたサイエンスフィクションが今ちょっと低調なのは、現実の原発事故やソーシャルネットワークシステム、シェアリングとクラウドが一体僕らに何をもたらすのかというのがなかなか見えてこないところがあるからです。そういう世界の光と闇を僕たちに見せつけるような作品の登場を待っています。

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