Creative Café アーキテクチャシリーズ 第3回 モノがたりを装う~ファッションとアーキテクチャ~ 2/3pict
2010.10.02
●fashionの歴史と本質
fashionがいつからあるのかということがあります。fashionの歴史を知りたいと思われる方、いらっしゃいますか?諸説ありますが、 フランス革命以後から考えたいとおもいます。たとえばサン・キュロット(sans-culotte仏)という言葉、ご存知ですか? キュロットっていうのは貴族の象徴である半ズボン。「sans」とは、英語で言うところの(without)なので、半ズボンをはかないということですね。ですから、貴族に対する庶民。服は今以上に政治的なメッセージを強く保持していました。フランス革命以後、貴族に対する(西洋)ブルジョワジーが台頭します。そこで、いわゆる民主的な発想があって、個体としての人間を優先させる。ここで初めてfashionという概念が出てきます。政治的な表象としての服ではなく、政治的な意味を失った自己表象としてのファッション。男性スーツはなぜグレーや黒なのか、そのスーツの意味というのも、社会構造の変化という見方があります。「我々は貴族ではなく、民主的市民である」という意味です。
このようにファッションは社会構造の変化、社会設計(アーキテクチャ)と深くかかわっています。
ファッションは政治的意味性を弱め、自己表象の要素となりました。その後、ファッションデザイナーが登場します。
先ほど、ファッションと社会設計(アーキテクチャ)の関係についてお話ししました。モノとしての服だけではファッションは成立できません。その時代の社会・文化的背景、メディアの扇動など様々な要素が必要となります。社会現象としてファッション。各種メディアの発達。雑誌の刊行。その中で文学者たちがファッションについて様々に語り始めます。例えば、バルザックが「シンプルという贅沢」といっています。要するに貴族はゴテゴテしたもの、デコライティブなものをつくったけど、それはやめようと。そのような言葉がメッセージ性を帯びて流行に影響を及ぼします。
●トレンド=世界市場を作る
深町:いまだヨーロッパがトレンド発信の中心です。基本的にアートもそうですけども世界的な「構造」となっています。そのような世界のなかで、日本人がファッションデザイナーとして活躍する場所があるのか。例えば、70年代-80年代初頭の日本人デザイナーの衝撃的なヨーロッパデビューとその後の活躍。 日本人から見ると「よくやった」という文脈になるのですが、西洋人からすると、市場をつくるために受け入れたという見方になります。
新しい市場をつくり、ヨーロッパでつくられている服が売れるためには、その付加価値を認める人間をつくる必要あります。服に興味を持ち剰余価値(ブランド)を認める人間です。そのためには、市場となる国のデザイナーを受け入れる。人々は自国のデザイナーを称賛しつつヨーロッパの服にも目を向けます。ルイ・ヴィトンフランスのメゾン(高級ブランド)のアメリカ人デザイナーの起用は彼の才能に加え、アメリカの市場に向けての戦略ともいえます。現代美術のアーティストとファッションブランドのコラボレーションによる新たな付加価値創造。このように、ファッションは世界的な政治・社会・文化構造を見据え、あらゆる分野に応用されるような戦略的市場設計を実践しているというのが、私の実感です。
●fashion(=ファッションおよび「ファッション」)の本質とは?
fashionの本質とは何かということを、皆さんと考えてみたいと思います。かつて、貴族的な階層、階級を破壊するという社会構造の変化が現代的な意味でのfashionを生みだしました。
どのようにfashionが生まれるのか。
まず、マクロ的視点(社会全体)で考えてみます。私たちは、常に上位の人、何か面白いことをやっている人のイメージを共有したいと思います(標準化)。自分があこがれる対象の真似・模倣というのが流行の一つの大きな要因といえます。すると、模倣される対象者はさらに新しいものを求める(差別化)。
多くの人に手に取ってもらうため(標準化)には技術的発達が不可欠です(サイエンス)。そして、さらなる特徴を生み出す(差別化)ためには情感に訴える要素(デザイン性さらにはアート性)が必要になります。技術とデザインの革新の連続。こうした標準化と差別化の繰り返しが技術産業、デザイン産業を中心に経済活動を促進し、文化的・社会的ダイナミズムを生み出します。このダイナミズムはファッションが生みだした社会設計(アーキテクチャ)といえるしょう。服飾産業から発達した「ファッション」(=つくること)的ダイナミズムは他の様々な産業に応用されることとなりました。例えば、自動車産業。技術の発達(走行安定性やパワー)による訴求力が弱まると、パッケージ(外観)のデザインで訴求します。そしてまた新しい技術での訴求(EX.ガソリンエンジンからハイブリッドへ)。一般には気づかれないのですが、ファッションにおいて昔流行った形だと思っても、糸や布地、縫製の技術革新は常に進化しており、そのたびにデザインも少しずつ変化しているのです。
次に、ミクロ的視点(私たち個人)から考えてみます。
身体を覆う、布を「被る」時代から身を「着飾る」時代を経て、「装う」時代へ。これは服の歴史としてだけでなく、私たちが服とどのように関わっていくかを表しているといえるでしょう。本日は『モノがたりを装う』と題しています。まず、「モノ」としての服が存在します。そして、「ものがたり」を表象するものとしての服があります、つまりその「モノ」が表象しているイメージです。最後に「装う」。自分にどのような「装い」が合っているかを社会的な意味において発見するというのが重要なのです。
あらためて、fashionの本質とはなにか。
人が生きる上で必要なことは他者からその存在を認められること、「認知」されることだと思います。身にまとう服や持ち物は、無意識にせよその人がどのように認知されたいかを表象しています。ファッションはその人の生き方をあらわし、それにより他者から「認知」され、ひいては生きがいを得るために重要なものといえるでしょう。
社会設計(アーキテクチャ)との関わりでいえば、「モノ」をつくる様々な技術の構造設計、「ものがたり」(=イメージ)をつくるデザイン・アート、メディアの構造設計、個人の「装い」を正当化する文化・社会の構造設計が「ファッション」(=つくること)を成立させるといえます。それぞれが流行を生み出す要素です。
このようにfashionの本質をとらえてみると、時間的サイクルの長短はあれ、世の中すべてのものがfashionであると思うのです。