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Creative Café Vol.05 サステナブルな未来を思考する ~科学とアートから見る環境と社会:ヨーロッパからの報告 3/3pict

2010.04.06

フランク・シュバルバ・ホッツ
ドイツ緑の党、前欧州議員。現コンサルタント、環境/人権問題スペシャリスト


司会        野原佳代子
ファシリテーター トム・ホープ
           津田広志

特別参加
伊賀健一 東京工業大学学長

20091218_CC05_5.JPGホープ:フランクさんは、我々のことをミミズだと言いたかったのでしょうか?(笑)。皆さん、何かコメントとかご質問あると思うので、そこからまず始めましょう。
:このサイエンスカフェのトピックというのは、環境ですよね。環境というのは、一国ではなくて、いろんな国の協力が必要だと思います。では、どのように欧州連合では考えているのでしょうか。
ホッツ:欧州連合では、「これは私の国ではいいけども、隣国にはよくない」というようなことは言えないんです。なぜかと言うと、1950年代に始まったとき以来、この欧州連合では、何か他国によくないのであれば自国にとってもよくないというふうに考えるんです。
その姿勢というは、他国にとってのお手本になり得るではないかと。我々というのは、もうフルーツサラダのような、いろんな民族、いろんな国々が混ざっている国です。

:フランクさんは、私たちに、アジアの、あるいは東アジアのアイデンティティについて考えてほしいっていうふうにリクエストされたと思うですけども、その前に何がヨーロピアン・アイデンティティなのか、お話しいただけるとありがたいです。
ホッツ:一つ目は、人権、非常にユニバーサルな人権というものがあるというのが大事な考え方です。男女間、それから民族間、宗教間、それから政治的思考、そういったことに関して決して差別をしてはいけないというのがベースになっています。2つ目は、国家という境界がある。あるいは、あらゆる団体と宗教というものの分離が大事だとされています。3つ目のアイデンティティは、法律というものがすべての基盤になっていて、責任を定義しています。最後 に「アイデンティティは批判されるということを覚悟しなければいけない」という考え方。何かを成し遂げれば誇りとしていいし、何か自分で責められるべきことがあったときは、それを引き受ける覚悟をしなければいけないという考えです。

G:さっきミミズの話がありましたが、やっぱりスペシャリストというのは非常に重要だと思うんですね。特別なトピックにすごく深く切り込んで、理解をしていく。それのほうが、あらゆる物事を浅く知るよりも有益だと思うんですけれども。
ホープ:皆さんの中で「私はスペシャリストではなくてジェネラリストだ」と思ってらっしゃる方はどれくらいいらっしゃいますか? 全然いらっしゃらないですかね? 
ホッツ:スペシャリストとして道を極めるだけでは十分じゃないというのが私の言いたかったことです。スペシャリストであったとしても、ものごとを俯瞰して、自分のリサーチの裏側にあることはなんなのか、自分の研究の周辺で役に立つような分野というのはどういったものがあるのか、ほかの文脈で考えたときに、じゃあ自分の研究というのはどういうふうに捉えればいいのかを考えたほうがいい。
もう一つは、やっぱり物事に対する広い、物事に対する知識が大事だろうと思っています。ヨーロッパでは、学生というものは、たとえばA・B・Cを専攻していても、A・B・Cに関係をしていないコース、ゼネラル、一般教育と呼ばれるようなものを必ずとらなければいけないというようになっています。「サイエンスばか」だとか「サイエンスおたく」っていうものにならないように、っていうような方針があるわけですね。

ある日本画を見る
20091218_CC05_6.JPG津田:さっきからミミズの話がよく出てますね。少し地を這うような絵。松井冬子さんという先鋭な日本画家が描いた絵があります。たとえばこういうのをご覧になって、どんなふうにお感じになりますか?

 松井冬子『浄土の持続』(平成16年/絹本着色・軸/29.5×79.3)
 (http://matsuifuyuko.com/より
   2008 All rights reserved by Fuyuko MATSUI)
 
:ぱっと見、気持ち悪いなっていうのがあります。顔が怖い。半分笑ってるのかなんかよくわかんないですけど、目が気持ち悪いって言うか。
:私は結構きれいだと思う。日本画って言いながらちょっと洋画ぽく、ハムレットのオフェーリアにもよく似ている。着物にも見えるし洋服にも見えるし。
津田:もう、いま二人聞いただけで、意見が分かれましたね。

:あれユリじゃないですか? 顔のところの花は。なぜあんな所に寝てるのか。そういうことを考えます。だから気持ち悪いとかなんとかと言うよりも、なんであんな格好してるのかなっていうことを。
ホッツ:彼女は寝ていません。彼女は死んでいるように見えます。私からすると、彼女は死んでいて、そして、もう内臓が、体から出ているように見えます。ちょっと表現申し訳ないですけれども、なんかレイプされたような、私はそういうふうに見えます。非常に素晴らしい女性が、もしかして生きているのかもしれませんが、攻撃されて、もう内臓が飛び出ている。そして彼女が手を持ち上げていて、何かほしがっているように見えます。そして一方で、彼女は、何かまた大きいデザインの一部のようにも見えます。彼女の周りにいる植物だったり、水だったり、魚の一部のようにも見えます。
:この絵は複雑だと言うことはできると思います。なぜかと言うと、現実は大体複雑なんです。ただ、本当にそれが複雑なのかどうかは、ここではちょっとわからないかなと思います。
:日本語で命の循環と考えると、あの女性はいま死のうとしているけども、自分の体が次の命、たとえば周りにある花のために自分が役に立つ、そういうことを理解していて、非常に喜びすら感じている。自分が消えていくんだけども、その命は次の命につながっていく。そういう喜びを持って、いま、死んでいくような、そんなイメージを私は受けました。
ホープ:われわれは、アートを使って、生命環境を別の言葉で考えられるか、面白いところだと思います。たとえばそれが世の果てにつながっているとか、そういったことを考えようとしているわけです。

デザインとアートは違うか
H:「サスティナブルな未来を思考する」というテーマですけれども、要するにサスティナブルというのは私の考えでは、やっぱりエネルギーの問題とか環境の問題をいかにクリアするかです。率直に言って、デザインというものとアートというものが、どう違うのかというのがよくわからない。たとえば車をデザインするときに、いいデザインであるならば、もちろん売れます。
そういったことを通じてサスティナブルなテクノロジーが社会に浸透していくということだったら非常にわかりやすいストーリーだと思います。デザインではなくて芸術がこのサスティナビリティというのに対してどういうふうに関わっていくのかという論点はわかりにくい。
津田:今後、サイエンスが、デザインと融合していくのか、アートと融合していくのか、それが非常に大きな問題になっていくと思います。

ホープ:最後の締めにいこうと思います。個人的に思ったのは、サイエンス・カフェっていうのは、決まった結論というのはないですね。アートとサイエンスは非常に違う起源をもっているけども、混ぜて話していく中で、その中の共通性も見えるんじゃないかと気もします。
野原:皆さんご参加どうもありがとうございました。私はもともと翻訳理論というものをやっていまして、トランスレーションというのは非常に広い概念で、たとえば、文学を演劇にする、あるいは絵を解釈して、それからストーリーをつくるといったような、異言語間翻訳というものも入るわけです。
翻訳を行うと、まったく異なる層の人々に、メッセージが届くことがあるということです。それは意図してそうすることもある反面、びっくりするような効果が思わぬところから起こることもある。そういったことがサイエンスとデザイン、あるいはアートの世界で起こったらいかに面白いかっていうようなことを考えつつ研究をしております。
議論は尽きませんし、いろいろな問題がオープンになったと思っております。ありがとうございました。来年もこちらでお会いできることを祈っております。

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