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第6回恵比寿映像祭「TRUE COLORS」コラボレーション企画「多様性カフェ」

2014.02.21

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第6回恵比寿映像祭は「TRUE COLORS」というテーマのもと、映像が映し出す現代社会の多様性を見つめ、グローバリゼーションが叫ばれるなかで見失われたものや守られてきたもの、あるいはそれらがもたらした新たな遭遇、接触、交流によって生み出されたものが示唆する未来についての考察を試みました。

映像祭のテーマをふまえて、Creative Flowとして2回目の参加となる「多様性カフェ」では、映像祭参加作品であるスーザン・ヒラーの言葉のみから成る抽象的な作品『THE LAST SILENT MOVIE』(2007年・イギリス)を鑑賞しました。今回は新たな試みとして、慶応義塾大学の手塚千鶴子先生を中心とする留学生グループや卒業生の方々とのコラボレーションで企画、2大学の学生や留学生、卒業生に加えて外部からの参加もあり、多国籍、多属性の参加者とともに作品を鑑賞することになりました。議論は、映画鑑賞後、複数グループに分かれ、学生ファシリテータ主導のもとカフェ形式で行われました。参加者は英語、日本語で自由に話し合い、時折通訳を交えながら議論を重ねていきました。その後、各グループがポイントを発表し、ファシリテータによる総括で、イベントは終了しました。

絶滅民族たちの言語のみの映画作品は12カ国からの参加者に「多様性」の当事者感覚を与え、既存のシステムに組み込まれた価値観ではなく、自発的に自由で本質的な価値を求めるうえで、グローバルで多様な文化を受容し尊重していくことの重要性を直接捉える機会となりました。


■各班まとめ
A班(日本語グループ)
・前半は作品タイトルの意味について話題に上がった。タイトル「Last Silent Movie」の直訳は「最後の無声映画」だが、作品には音声があり映像がないため、言葉の意味との相違が面白く興味深かった。
・エンドロールで字幕が双方向で上下に交差していく表現が面白かった。
・消滅に瀕した言語の話者からどのように音声データを集めたかが気になった。
・映像と音声を一緒に上映してもよいのに、映像をあえて消しているとしたら、アート的な要素を感じる。
・後半は多様性についての議論になり、多国籍で話し合うのは面白かった。むしろ英語の話者だけでは面白くなかっただろう。
・多様性について話すうちに、モンゴルの遊牧民に宅急便をどのように届けるのかという話で盛り上がった(遊牧民には固定の住所がなく、家を見つけることはローカルな人しかできない。地元の人が住所を見つける)。

B班(英語グループ)
・まず(A班と同じく)作品タイトルについてなぜ「Last Silent Movie」なのかが話題になった。話し合った結果、取り上げた言葉は消滅危機にあるか、既に消滅した言語なので、「沈黙した言葉」という意味で「Silent Movie」と表現しているのだと考えた。
・次に、実際の素材はサウンドだけだが、なぜあえてビデオにしたのかが非常に興味深い。個人がただ音だけを聴いて経験することと、ビデオ上映という形で、他の人と一緒に経験するのとでは、鑑賞体験が異なってくるのではないかと考えた。
・いろいろな言語を聴いて、感じ取って、ディスカッションすることを非常に楽しんだ。
・多様な言語に触れて、私たちは知識を得ることで色々な差異に気がつけるようになるのだと実感した。知識を得れば得るほど、その違いに気がつけるようになるはずだと考えた。

C班(日本語グループ)
・なくなるのは悲しい?文化としてはさみしいけど、言語が違うことでコミュニケーションがとれない面もある。
・英語字幕と音声がずいぶんとかけ離れて感じられた言語もいくつかあった。英語では非常に多くのセンテンスなのに、音声ではたった一音で表現されていたり、どうやって翻訳しているのか、正しいのか疑問。
・「音」や「歌」のような言語や、リズム、声の出し方、高低、話される素行度など、言語によってキャラクターが異なり、実際バイリンガルの人たちは話す言語によって自分が変わる。
・最初は抽象的でつかみにくい映像だと思っていたが、情報が少ない分、自らの経験を呼び起こす作用など、映像が装置になっている。ディスカッションでお互いに過去の経験や知識を提供しあうことで議論が深まっていくのが面白く感じられた。
・消えるのは言語だけではなく文化も一緒に消えると感じられた。

D班(英語グループ)
・言語と文化との関係を考えた。言語は言葉だけの問題ではなく、文化に組み込まれているので、言語が消滅するということは文化もまた無くなるということだ。
・自分の母語で話す時と英語(他言語)で話す時では感覚が異なる。母語を話す時はアイデンティティ、所属感を感じられる。言語と文化との間の密接なつながりがあると感じた。
・同様に、言葉を翻訳する場合には、意味の大切な部分が失われてしまう可能性がある。たとえば「optimism」は英語の場合はポジティブな意味であるにも拘わらず、日本語では「楽観主義、楽天主義」と訳され、ネガティブな感じがするが、実際は「おめでたい」という皮肉が加わってくる。言語の翻訳はとても難しく、それぞれの言語に文化的背景のある、固有の意味が伴っている。
・自分たちの言葉を大事に用いていくことは大切なことだ。同じ言語を用いる人と一体感を感じられるし、それは世界に向かって発信していく原動力にもなるはず。


【ファシリテーターまとめ】
津田広志氏
・どの班も非常に丁寧に映像を見ていて嬉しく感じた。美術館の方も喜んでいると思う。
イメージのない言語だけの映画というのは、実験的な映画として多くの例があり、イメージがないゆえに、サウンドに集中させる効果がある。そこから話者の感情の私的な流れを感じたり、翻訳する時の重要な意味がなくなってしまったことや、個々人の記憶が蘇ってきたりということが起きていた。重要な体験をしていただけたと思う。
・フランス語でゴダールの作った「ソニマージュ」という言葉がある(音響(son)と映像(image)の対等な融合を意味する)。普通私たちは音と映像をシンクロしたものとして見ているが、この作品の場合は「ソニマージュ」がずれながら融合することで色々な感情が呼び起こされた。
・文化と言語の関係についても興味深く、どの班もローカルな言語を重視していたのがよかったと思う。

【サブ・ファシリテーター意見まとめ】
手塚千鶴子先生(慶應義塾大学)
参加する前は、鑑賞作品が抽象的な映像だったこともあり、ディスカッションがうまくいくか不安もあったが、始まってみるとその不安払拭され、いろいろな意見が活発に出て非常によかったと思う。

野原佳代子先生(東京工業大学)
この作品を初めて見た時、PCの不具合で、最初は音声だけが聞こえてきて、映像(=英訳字幕)が出てこなかった。音だけでは意味は分からないが、どんな人が喋っているのか、どんな意味なのかを想像する楽しみがあった。むしろ字幕があることで面白さが半減するのではないかと懸念していた。しかし今日もう一度作品を見て、参加者の話を聴いてみると、音と意味のミスマッチさ、「こんなはずはない」という驚きや違和感がどんどん次の発想を導いてくれることに気づかされた。

【開催概要】
日時:2014年2月21日(金)19:30 - 21:00
場所:クリエイティブスペースamu
参加者:25名(学生19名、一般6名、12カ国より)

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