Report

TOP > Report > Creative Café Vol.05 サステナブルな未来を思考する ~科学とアートから見る環境と社会:ヨーロッパからの報告 2/3

Creative Café Vol.05 サステナブルな未来を思考する ~科学とアートから見る環境と社会:ヨーロッパからの報告 2/3pict

2010.04.06

フランク・シュバルバ・ホッツ
ドイツ緑の党、前欧州議員。現コンサルタント、環境/人権問題スペシャリスト


司会        野原佳代子
ファシリテーター トム・ホープ
           津田広志

特別参加
伊賀健一 東京工業大学学長

1000個の風力発電 1000個のアート
20091218_CC05_4.JPGホッツ:もう一つお話ししたいことは、「アートってなんなの?」と、アートの価値とは何かということを考えることです。ここにいらっしゃるのはエンジニアの方が多いと思います。また科学者でいらっしゃいますね。そして、そのやっていることに誇りを持っていると思います。ただ、人類が生まれてから、常にアートというものはありました。なんでだと思いますか? 
科学者は、何かを発明したり開発するために必要です。じゃあ芸術家はどうなんでしょうか? たとえば、彫刻とか、劇とか、文学とか、そういったものを生み出します。人間を見ていくと、たとえば銀とか金とか銀行口座とか、またそれ以上も必要です。たとえば愛とか、思いやる心とかが。人というのは非常に深いそういった欲望の必要性があるんです。
つまり何か芸術的なものが必要なんです。それがあって完全になれると。なにか劇を見るとします。そして笑います。そうすると心が洗われる。悲劇的な劇を見て泣いたとしても、心を洗ってくれる。人間というのは、芸術がなければ存在できないのです。
 
最後、サイエンスとエネルギーということに関して、日本についての意見をお伝えしたいと思います。ドイツは世界でもナンバーワンと自負する風力発電、そして太陽光発電というもののパイオニアであります。原子力発電25基に相当する量の発電を、次世代エネルギー源として得ようとしています。
でも、風力発電は、まだ日本にはあまり見られませんよね。それは非常に目立つもので、色は主に白いです。もし私が日本の経済省の長官だったら、文化省の大臣に働きかけて、1000個の風力発電の1基1基に、アーティストによって好きにデザインさせるということをしますね。それも漢字で。想像してみて下さい。そこに1000個の漢字を皆さんは見るのです。日本国中に1000個の風力発電のターヴィンみたいのがあって、それぞれが一つの一つの漢字と結びついている。
 
日本国中にこういった、人を寄せ付ける観光資源というものが出来上がるんですね。それぞれが一つ一つのアイデンティティを持っていて、その1,個は多様性を表す。そして集団として人々を寄せ付けるものになると思います。これが一つの大きなプロジェクトの作品になるわけです。

世界の終わりについて
20091218_CC05_3.JPGホッツ:世界の終わりということについて、ちょっと述べたいと思います。「このまま私たちがこういった生活を続ければ、エネルギーを消費しつくし、もう世の中は終わってしまう」というようなことが言われます。昔からノアの箱船の話もそうですし、ノストラダムスの大予言も、人類への警告としてですね、将来の暗澹たる姿を警告として使っています。
もう一つは気候変動ですね。ガソリン、ガスとかに含まれた炭素を燃やされてしまったときにそれが空中に放出されてしまうと、非常に大きな温暖化の影響を与えると。 
二つ目は水の問題ですね。ヒマラヤ、チベットなどのアジアの中央の山の上の氷は、予測以上の速さで溶けていくと言われています。そこにいる人口が、世界の半分にもなるわけですね。氷が足りなくなれば、水の難民というものが、非常に大きな規模で生まれてしまうわけです。
さらに食料問題というのがあります。聖書に始まって、あらゆる出版物を見てみると、飢餓というものが、やっぱり人類の運命を左右するというのは紛れもない事実なんですね。毎年ドイツの総人口と同じだけの人口が、毎年増えています。人口が増えなくても、一人一人が、より高い品質の食べ物を食べたいというふうになっていると100万トンの米の代わりに、100万トンの牛肉を食べたくなります。元ビートルズのポール・マッカートニーが欧州議会で、肉の消費量を減らそうというようなことを訴えていました。
六つ目の視点ですけれども、人類と自然との関係ということについても少し触れたいと思います。ヨーロッパでは、人間が自然を破壊するというのが主な考え方です。ただアジアでは、人類というのは自然の一部であるというような考えがあるかと思います。皆さんが持っているような、自分の一部として、自然をリスペクトするというようなことを訴えていっていただきたいと思います。

スペシャリストとジェネラリスト
ホッツ:最後、申し上げたいのは、大学での非常に大きなチャレンジとしては、何か専門的な教育を行うだけでは駄目だということです。なぜかと言うと、専門家であるということは、ある視点があるということです。たとえばミミズっていうのは大切なのですよ。ミミズは、対象をじっくり見て、テーブルやテーブルの下は何があるのだろうとか、そういったことを考えます。
でもそれだけではなくて、大学というのは、ワシのような俯瞰した考え方が必要なのです。自分の専門分野で、きちんと一つのことを見極め、ほかの分野についても、たとえば地理とか、社会学とか政治学とかについても知っている必要があります。スペシャリストは必要なのですけれども、全体を判断する力が必要なのです。

page top

Photos

Twitter

Movie

Loading...

page top