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Creative Café vol.02 日本の中の<世界>を見つめる 1/2pict

2010.02.02

Tags : 写真

岡田敦 profile
1979年生。写真家。2008年『I am』で第33回木村伊兵衛写真賞受賞。作品に、『Platibe』(プラチベ、2003年、窓社)、『Cord』(コード、2003年、窓社)『紙ピアノ』(短歌 伊津野重美 写真 岡田敦、2005年、風媒社)、『I am』(2007年、赤々舎) オフィシャルサイト >>

facilitator(文中----)津田広志

『I am』を見る
岡田:今日、自分の作品をみなさんに見ていただくのですが、どういうふうに影響を与えることができるのか、何か化学反応を起こすんじゃないかなと思って、楽しみにして来ました。あまり話すと、作品を見るのが面白くなくなってしまうので、まず見ていただきたいと思います。

I am.01.jpgのサムネール画像I am02.jpgのサムネール画像I am3.jpgのサムネール画像

------みなさんはどんなふうに感じられました?
:正直、息が詰まるというか。圧迫されるような感じがします。人の表情が沈んだ感じの表情であるとか、構図が人が半分切れていたりとか。
:あとは、こんなに女性の裸を見ていいのかなと(笑)
------岡田さんご自身は、どんな感じで撮られたんですか?
岡田:「撮ってはいけないものを撮ってしまった」という気がしましたね。「見てはいけないものを見てしまった」という。おそらく世に出すのは、無理だろうと。自分で見ていても気分が落ちたり、皆さんと同じような感じ方だったりもしますよ。
ただ何回もずっと見ていくと、死にすごく近い作品だという気はしますが、むしろ自分に向き合うことによって生まれる"強い生"を感じたりもします。自分でも見方がいろいろ変わります。
:僕はすごく冷静な態度で撮ってらっしゃるなっていう感じがしました。背景も、明るかったじゃないですか。
岡田:いや、冷静でいられるわけがないですよね、これはあの......ひどいです。この作品を撮影してた1年半という期間は、毎日、イイチコを1本飲むぐらい、精神状態がとても荒れていました。
人のエネルギーと向き合うことで、自分のエネルギーを消耗していく。人の撮影をするときが一番、すごいエネルギーが必要だと思いました。風景を撮るだけだと、ここまで消耗しませんね。

言葉にできないもの
----私は、意外に冷静に撮っているという彼(K)の意見もわかるような気がするのですが。何かがしっかり映っている。
O:被写体の方が、外に言えない「何か」を抱えて、それを表現するために被写体になったのでは。私は「ああ、でもやっぱり女の人だから、子供を生んで、命をつなげてくっていうこともできるんだな」と思いました。なんか生命のサイクルみたいなことも逆に考えてしまいましたね。
H:僕は、女性の裸とか、リスカの跡とかって写っていても、「いやらしい」とか「痛そう」とかほとんどそういうことは感じなかったです。あそこの写真に出てる人たちが、普段、絶対人に見せないようなものを、誰でも見られるようなところでする、これはなんだろう、なんだろうな、あまりうまく言えないですけど......そういう気持ちはありますね。
D:だから、しゃべると消えちゃいそうな感じがあるんで、下手に言葉にできないっていう。なんか、言ったら消えていきそうな。
----じゃあ、この話はもう止めましょうか(笑)。

撮影のプロセス
----ヌードになるまでのプロセスというか、交渉っていうのは、どんな感じでされるんですか?
岡田:まず、『I am』の被写体になってくださっている人たちは、ぼくのこれまでの作品を見て、モデルになりたいって言ってきてくれた人たちなんです。ヌードは、絶対必要だろうと僕は思いました。服を着ていない状態が、一番ストレートに、"この人が今生きている"ということを表現できると。
それと結構残酷なことをしているなっていう自覚は常にありました。ぼくは作家なので、写真を撮って発表して、それが自分の選んだ生き方なんですけど、そこにほかの人を巻き込んでいくことへの葛藤っていうものはやはりありました。逆にぼくがモデルを頼まれたら怖くてできないなとも思うぐらい、すごい勇気と覚悟を出して皆さん、撮影に挑んでくれた気がします。
結構、リストカットの作品って思われているんですけど、本当は半分以上、顔と体を別々に撮影していって、ほんとうは誰が切っているのかわからない。それが、今の社会なんだろうなと思います。
ふだん普通に大学に通っているような子たちが、服を脱いだら腕がぼろぼろだったりして、そういった"わけのわからないもの"が当たり前のように存在しているのが"今"なんだろうなと。

わけのわからないものと向かいあう
----今言われたその日本の中にある「わけのわからないもの」を撮られている。撮影されるときは、わけがわからないという感覚で向かい合われるんですか?
岡田:そうですね。作品を出すとどうしても作品の意味を問われたり、ぼく自身に答えを求められることが多いんですけど、ぼく自身も答えがわからないから写真を撮っているし、答えは僕の中にはない。答えを出すのは見てくださった観客だと思うのです。
ぼくは、たまたま写真を撮っただけで、ここにいる皆さんも、研究か何かを重ねていけば同じような「わけのわからない」気持ちに出会うじゃないでしょうか。

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